眠くなった人間には眠りが必要


推理モノで「これから死のうという人が、来月の公演のチケットを予約するでしょうか?」とかなんとかそういうフレーズを度々見かける。

未来に希望を持ってる人は自ら死なないというニュアンス。

創作物的にはそうあった方がキレイだからいちいち目くじらは立てないが、
自殺は結構衝動的だ。もう本当に突然死ぬ。


鉄道に文字通り身を捧げた会社員のカバンには、
買ったばかりの6ヶ月定期券、
今日のプレゼンで使う資料 、など、
あっさりするほど毎日と地続きなアイテムしかなかったりする。
キオスクでひっ掴むように買われたソイジョイもまさか自分が遺留品になるとは思ってなかっただろう。

すべての道がローマに通じるように、どうあがいても死に向かってしまう、そういう回路のポイント切り換えが行われてしまったらもう死ぬしかなくなるのだ。


小さい頃から「来週新しいゲームを買ってもらうからそれまでは」「来月におばあちゃんちに行くからそれまでは」ととりあえずそのイベントまではなんとか生きるやり方をしている。
健全な脳みそだからできる不健全な生き方だと思う。


そういえば密閉空間にめちゃくちゃたくさんの百合の花を置いたらアルカロイドで死ぬとか聞いたけどアレガセっぽいよな。ただの酸欠っぽくないか。
犬に嫌われる遺体になったら掘り起こされなくて都合良さそう。


地獄に近いからヘルニア、死に近いからシニアとはよく言ったものだけど、27歳で死にてえな、自分はロックスターだから、ボロが出ないうちに、何も成さずに死んだと笑われる前に、誰かにサクッと痛くないゆるふわな感じで手がけてもらいたい、

死にたい人が好きな殺人鬼を選んで殺してもらって、被害者として周りに可哀想に思われながら死ねて、殺人鬼側も欲と金を満たせる、そういうレンタル殺人鬼ビジネスの創始者かつお客様第1号になりたい。


ビルの屋上で靴を脱いで「はかない人生でした」って一世一代のやつをやりたいけど飛び降りは迷惑だから嫌なんだよな。

あと普通に面白くない。


宿痾



一昨年の春か夏頃、生主にはまったことがある。

やましい意味で。


就職活動がつらくてつらくてしょうがないときに、生放送で、好みの声で、それなりに慰めてくれて、自分にとって心地よいレスポンスをしてくれるものだから、もうかなり好きだった。


生放送で毎日のようにうだうだうだうだ恋人が欲しいとダベっているフリーターの時点で一般的にきらめいてるとは言えないが、自分からしたらとても魅力的で、萌えまじりの好きを抱いていた。


就職活動が終わった。
バイトを再開した。
友達とたくさん遊ぶようになった。
次第に生放送に顔を出さなくなった。
一度張り付くのをやめたらすぐに頭の中で占める割合がぐんぐん減っていった。
むしろなんとなく避けるようになった。
何故好きだったのか思い出せなくなった。


寂しいときに構ってくれた、を恋と勘違いしてしまうところだった。


吊り橋やらジェットコースターのバクバクをドキドキと勘違いしちゃう単純な生き物だからしょうがないといえばしょうがない。

普段ろくな活動してないホルモンがビンビン大暴れしたら軽く頭おかしくもなる。



恋愛とは一過性の精神疾患なのだと、
執着を美化した姿が愛なのだと、
好きは3年で消えるのだと、
人と人を繋ぐ感情で一番「長持ち」するのは「罪悪感」だと、
古今東西リアルでフィクションでさまざまな言説がある。


どれも好きで、どれも信じている。
迷惑かけなきゃ何を信じてどんな恋愛をしてもよいと思う。
迷惑かけたくないからどんな恋愛もしたことがない。


ちなみに「蛙化現象」は面白い。
こっちから愛でるぶんには「しゅきしゅき」って感じだったのにいざ相手から好意を向けられると「自分みたいな人を好きになるなんてコイツ趣味悪いな」って冷めてしまう。(王子様・お姫様が蛙になってしまう)
根っこの自己否定感に由来することが多い。


二次元とか芸能人とかばっか見て育ったから「恋愛は美男美女の戯れ」「画面の向こうを美化する」刷り込みがあるんだろうな。キモ・オタクだな。どうしようもない。



誰かの推しメンになってみたい。

宇宙の引き出し


アカシックレコードという言葉が好きだ。


簡単にいうと「この世のすべての記録」という意味で、詳しいことは神様系の学問の話になるみたいなのでよく理解しきれていない。


小さい頃、よく「今ここでこれを考えている、そのことを何年か後には忘れてしまうのか、仕方ないけど嫌だ」と一人でもやもやと寂しさみたいなものを感じていたので、自分も他人も覚えていない記憶が保存されているなら安心する。

あとやっぱりよく考えていたことのはずなのに具体的な "ここ" も "これ" も覚えていない。
多分幼稚園の頃スイミングスクールで泳いでいた時に考えていたことなんだろうと思う。


いくらSNSが普及して、自分の行動を逐一全世界に発信するようになったとしても、すべての記憶ではない。

おととい友人と喫茶店で飲んだストロベリーティーの熱さ、
きのう思いがけずだらついた飲み会の二次会でカラオケに入り浸った後のパーカーのにおい、
さっきの母の「ご飯できたよ」に対して「はーい」と「わかった」のどっちの返事をしたかなんて誰も覚えていない。


一昨年亡くなった叔母さんはマグカップと電子レンジで作るカップケーキを作ってくれた。
パッケージにはピカチュウが描いてあって、イチゴ味だった。


大学2年生の夏にしょうもない失恋をして新宿の安居酒屋でどうしようもない酒を飲んだ。
トイレに籠って息も絶え絶え、見上げた先のピースボート世界一周の旅。


市民プールで泳いだ後に母から買ってもらったSEVENTEENアイス。
大人ぶってそんなに美味しいと思ってないのに抹茶味のアイスコーンを食べた。

別の日には自販機でジュースをしたら商品入れ換え中で、いい子に待っていたらおじさんが入れたてのCCレモンを一杯くれた。
炭酸が苦手だったが美味しく飲んだ。


どれもこれも、すべてアカシックレコードに保存されていればよいと思う。
死んだ後に入れるでっかい図書館でそれらを閲覧できたらいいのにと心から望む。


あとシアタールームで自分の人生を映画化したDVDを鑑賞したい。
「やっぱ原作の大学生編が一番面白いわ。社会人編は登場人物の魅力が描写できてない。実写化はワイヤーアクションが露骨だしオリジナルヒロインが蛇足」とか講釈垂れたい。


飼ってたハムスターに会いたい。